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2024/05/19 (Sun) |

印刷の歴史

東アジアでは、2世紀ごろ中国で紙が発明され、7世紀ごろには木版印刷が行なわれていたといわれ、また11世紀には陶器による活字を使った印刷が行なわれていた。金属活字による印刷は13〜14世紀の朝鮮(高麗)にあらわれている。現存する印刷物で、製作年代がはっきりと判明している世界最古のものとして、日本の百万塔陀羅尼がある。

ヨーロッパでは、1450年頃のヨハン・グーテンベルクによる金属活字を用いた活版印刷技術の発明で、印刷が急速に広まった。グーテンベルクの発明から1500年以前までに印刷された書物はインキュナブラ(揺籃期本、初期刊本)と呼ばれ、どれも貴重書であるため莫大な古書価がつくこともままある。当時の印刷物は、聖書をはじめとする宗教書が半数近くを占めており、活版印刷による聖書の普及は、マルティン・ルターらによる宗教改革につながっていく。

その後、欧米においては長らく活版による文字、凹版による絵画、挿絵の印刷が行われた。

1798年にドイツのセネフェルダーが石版印刷(リトグラフ)を発明。これが平版印刷の始めとなる。現在主流となっている平版オフセット印刷は、1904年にアメリカのルーベルが発明したといわれているが、それ以前にイギリスではブリキ印刷の分野で使用されていた。ルーベルの発明は紙への平版オフセット印刷である。

日本では、「百万塔陀羅尼」が出されて以降2百数十年間、印刷物が出されることはなかったが、平安中期になって、摺経供養がさかんに行われるようになった。これが、奈良を中心とする寺院の間に、出版事業を興させるようになる。興福寺などで開版した印刷物を春日版と呼ぶ。鎌倉時代には高野山金剛峰寺でも出版を行うようになり、これを高野版と呼ぶ。13世紀ころからは、宋へ留学した僧がもたらした宋刊版の影響を受け、京都で五山版が出る。桃山時代になると、宣教師に日本語を学ばせるため、初めて活字による印刷(キリシタン版)が行われだす。近世以前は金属活字を用いたキリシタン版や駿河版といった例外を除き、木版印刷が中心だった。江戸時代初期から中期にかけて、美麗な嵯峨本をはじめ、庶民の読み物である赤本や黄表紙など、一気に出版文化が花開くことになる。これらには、木活字もしくは木版を用いた整版が使われた。

木版以外では、1783年に司馬江漢が腐食による彫刻銅版画を製作している。1856年には長崎奉行所内で活版による近代洋式印刷が始まる。

明治時代に入り、1870年には本木昌造が長崎に新町活版所を創立、これが日本における民間初の洋式活版の企業化である。1888年には合田清が木口木版(西洋木版)を日本に初めて紹介した。なお、日本初の印刷専門誌『印刷雑誌』の創刊号(1891年)の表紙には、合田清の木口木版画が使われている。

1896年、小川一真が日本初の3色版印刷を発表。
1918年、築地活版製造所が邦文活字の鋳造を開始。
1919年、HBプロセス法が日本に移入される 。
1924年、石井茂吉と森澤信夫が邦文写真植字機の試作機を発表
1926年、写真植字機研究所を設立
1929年、実用機が完成。その後二人は袂を分かち、それぞれ写研、モリサワとして写植オフセットの時代を支えていくことになる。
1960年、電子製版機(カラースキャナ)が実用化
1970年代、国産4色同時分解スキャナ開発。この頃から電算写植、オフセット印刷が主流となる。
1985年、アメリカでDTPが始まる。
1989年、日本初のフルDTP出版物『森の書物』が刊行。この頃からデータのデジタル化が加速。オンデマンド印刷、電子出版などが徐々に現実となり始める 。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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2008/08/02 (Sat) | Trackback() | Comment(0) | 印刷
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